4月
マタイによる福音書6章 6節
隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。
【解釈】
お祈りは神さまに向かってささげるものです。いわば、神さまとのコミュニケーションです。それなのに、人から褒められるために、見せびらかすように祈る人がいたのです。誰かに聞かせたり、誰かに見てもらうためではなく、本当の心からの願いをささげましょう。神さまがあなたの祈りに応えてくださいます。
5月
マタイによる福音書6章 10節
御国が来ますように。
【解釈】
「御国(みくに)」は神さまの国のことです。神さまは天を治めておられます。天ではいつでも神さまのお心が実現しています。同じように、この地上にも神さまの思いが実現することを祈りなさい、とイエスさまは言われます。神さまはすべての人の幸せを願っておられるからです。
6月
ルカによる福音書4章 4節
『人はパンだけで生きるものではない』
【解釈】
イエスさま悪魔から誘惑をお受けになりました。悪魔は聖書の言葉すら用いてイエスさまを惑わそうとたくらみます。悪魔は友達や理解者のふりをして近づいてきます。本当に大切なこと、真実なことは神さまの視点から見ればいつも変わりません。だから祈るのです。
7月
マタイによる福音書5章 3節
「心の貧しい人々は、幸いである」
【解釈】
「心が貧しい」って、空しいということでしょうか?そんなの全く幸せではありませんね。でも、イエスさまは、心が空っぽの人は幸いだと言われます。新しいお家に引っ越して、家具や家電を新調する時、わくわくしますよね。神さまがくださる幸いで満たしていただくために心を空っぽにしている人、それが心の貧しい人です。
8月
マタイによる福音書5章6節
義に飢え渇く人々は、幸いである
【解釈】
みなさんには渇望していること、どうしても手に入れたいものがありますか?イエスさまは、社会の隅に押しやられた人たちに「義に飢え渇く人々は、幸いである」とおっしゃいました。「義」とはただしいことです。本当にただしいことを実現できるのは神さまだけです。義に飢え渇く人は、自分の中に義がないことを知り、神さまが実現してくださる義を求めます。そして、その祈りは必ず聞かれるのです。
9月
マタイによる福音書5章7節
憐れみ深い人々は、幸いである
【解釈】
ここで言われている憐みは、かわいそうに思うだけではなく、その思いに突き動かされて具体的な行動に表すことまでも含んでいます。憐み深い人は助けを必要としている人を積極的に見つけ、行動できる人なのです。助けを必要としている人が誰であっても。