昨年度3月まで、学院長として勤務していましたが、このたび、村瀬道雄前理事長の後任として、今年度4月に就任しました笹野信治と申します。
横浜訓盲学院は、1889年(明治22年)に、創始者であるシャーロット・ピンクニー・ドレーパー女史が「盲人福音会」を設立し、困難な生活を強いられていた成人視覚障がい者の保護と教育を行ったことから始まりました。宣教師である息子ギデオン・F・ドレーパーとその妻によって、ドレーパー一家によって横浜訓盲学院は運営されました。
ギデオン・F・ドレーパーは、横浜訓盲学院の運営にあたって「よそで、できないことをする」という方針を打ち立て、その思いは、今村幾太主事にも受け継がれ、様々な新しいことを取り入れてきました。
@就学前の盲児の教育を最初に始めた。(幼稚部の設置)大正13年
Aいろいろな家庭事情のある盲児をひきとり、生活のめんどうを見ながら教育した。
B盲人野球を考え、全国にひろめた。
C一人で、いくつもの障害を持つ子ども(盲ろうなど重複障害)を、積極的に受け入れ、専門の教育をしている。
D0歳から70歳以上で、他の盲学校ではまだ行っていない年齢の人々の教育を行っている。など、独自の方法や内容を先駆的に取り入れ、多くの成果を上げてきました。その他、無学年制による指導、ティームティーチングによる指導、高等部専攻科生活科(19歳から21歳の高等部を卒業した生徒教育)の設置など他の盲学校では、取り入れていない指導方法や内容を行っています。これらのことは、私立学校であったからこそ可能になったことといえます。
本学院の「礎」に「多くの兄弟もろともに、愛の関係を全うせる家を組織し天国を経営することにある。」と書かれています。その学校経営の方針は、毎朝の職員打ち合わせの前のお祈り、各グループの朝の会でのお祈りや聖句の暗唱や讃美歌の斉唱、そして、毎週木曜日の全校礼拝を通して、神さまの愛の家族(ファミリー)を経営するという学校運営の精神は、今に受け継がれています。
これからも、幼児児童生徒、家族、教職員が、お互いがお互いを尊重する心を大切にして、愛あふれる一つの家族としての学院にしていきたいと思います。
学校法人横浜訓盲学院 理事長 笹野信治